ディプロマ時代2年間

 プーランクのソナタ全楽章にて受験しディプロマ入学。その頃の私は、クラリネットのCDも少なく、レパートリーもほとんどなく、楽譜も少ししかありませんでした。
 門下が変わり、すべてやり直しのレッスン。リードを4番に、浅い奏法に慣れました。
 側なりの音ではなく、ホールでなる楽器のならし方も学びました。数多くのレパートリーを持たなければいけませんでした。数多くのエチュードもインテンポで持って行きました。CDも譜面も買いまくりました。とりあえず、楽器可の物件に引越しして、中古のピアノを買い、A管も買いました。もちろん、今までためてきた貯金をはたいて。
 授業はほとんどでなくても良かったので前期、後期実技試験で成績が決まるしくみでした。いわゆる同級生と呼べる人は、みなさん国立音大など卒業して、コンクールも1次通る人が数人いたので‥なんともいえない雰囲気‥。私はコンクール???なんて感覚だったのでした‥。プロ意識は全くありませんでした。みなさんのオーラが私とは違っていました。私はとりあえず、新しい生徒という事で全てやり直しです。曲も全てやり直し。全否定のレッスンから始まり、帰りは必ず泣いて帰宅しました。できないのが悔しくて、さらいきりました。起きたら、すぐさらう。熱が出てもさらう。人とランチをする時間なんてもったいなくてできなかった。まして、ぜいたく品のケーキを買うなんてもったいなかった。全て、リードや譜面に使いました。
 そんなきつきつな状態があったからこそ、今の自分があるんだなぁと感じます。
音楽は楽しむものです。プロはさらってできる、そして楽しめるのが当たり前。けど生徒さんには、それは、求めません。
 楽しめて、上達できればいいなぁと思いながらレッスンをすすめています。さらう分だけ、うまくなる時期がきます。その波にのせるのが私の仕事かな。

上京から1年間

 私は中学でクラリネットに出会い、中学・高校・一般吹奏楽団で練習していました。高校は音楽高校に行きたかったが親に反対され説得できませんでした。

高校では朝7:30~8:30まで朝練をかかさず、大好きなクラリネットと歩んできました。高校から在籍していた一般吹奏楽団でも夜さらっていました。

そして地元短大2年目に、ほれ込んだ師匠に出会い、卒業してからは東京まで行き、2か月1度6時間レッスンをみてもらいました。もちろん親には内緒です。
 当時は地元で契約社員で医療事務。定時で帰宅するとすぐ一般バンドで練習。土日は内緒でアルバイト。もちろんクラリネットレッスンの為の資金調達。
そんな日課でした。そして契約社員から正社員というお話が来たところでやめました。シンプルに、クラリネットが好きだから、ただそれだけ。お金もたまり、東京まで来て師匠と選定。
 正社員なってしまったらクラリネットができないではないか!!!と思い、半年間お金をためて(5-23時勤務‥)上京。はい。もちろん全て自分で手配しました。

 そして10年前春上京。とりあえず1年間音大の聴講生になる(レッスンだけ)師匠のレッスン週1.生活費のバイト週6回夕方だけか、夕方から朝まで居酒屋。朝までバイトの日は、朝からそのまま音大の場所取りのため、並んで場所確保!必ず確保!大抵朝6:30に行くと5番目くらいでいつもの部屋が取れました。7:30から音だし開始!練習。練習。練習。ん、トイレ。練習、うーんひたすら練習。人と一緒にランチぃーだぁー、そんな暇あったらさらう!もくもくさらう。そして、夕方5:30急いでバイトに。
 下唇がきれる、そんなのどうにかなるもんさ、痛くてもさらうんだ。納得のいくまでさらうんだ。出来ないところをできるまでやる。そうすれば不思議とできるようになる。息が続かない?それは続くようになる。そして入学したかった尚美ディプロマ受験。曲は、プーランクのソナタ全楽章。そして合格。そんな東京デビューでした。

私とクラリネットの出会い

 私は中学校の部活動・吹奏楽で、クラリネットに出会いました。

 始めてからすぐに夢中になりました‥音すら出すのが難しいんです。 

 レジスターキーを押すと、口が動いたり高音がつぶれたり、指が思うように動かなかったり、音程が曖昧だったり、タンギングができなかったり汚かったり。。

 こんな経験、初心者なら経験するはず!とっても悔しい!けどうまくなりたい、もっといい音色で吹いてみたい、もっと艶やかに演奏したい!とばかり思って、ひたすらよくわからずロングトーンしたり何も考えずに(考えられず?)ただ吹いたり。
 そんな繰り返しでした。

 今までレッスンを受けてきて、考え方や好みも年代によって変化し、少しずつどう音楽を表現するのかを考えられるようになりました。

 クラリネットなしでは、人生語れず。